食養学入門 17 1-15

 

8.そのほかの環境の危機

 

様々な危険な状態がたくさんあります。

 

例えばダイオキシンがありますが、このダイオキシンを使っている量はムチャクチャなもので、例えばドイツのダイオキシンの年間排出量は4gなのですが、日本は15kgです。

 

この15kgを10年間つづけると、アメリカ軍がベトナムに撒いた枯葉剤の量に匹敵するのです。

 

だからベトナム並みに土が汚染されてくるんだということです。

 

ダイオキシンは、例えば50mプールに目薬て一滴落とすだけで、既に毒性があります。

 

そこで鯉を泳がせていると、オスの鯉がメス化していくような毒性があります。

 

それが日本全土に年間15kgばら撒かれているのです。

 

こういうことに対しては、政府は非常に鈍感になっておりまして、ゴミの焼却なんかでも形式をやるだけなのです。

 

 

ある町で問題が出たことがありました。

 

この町の山の方にゴミの焼却炉が出来て、そこから汚水が直接川に流れ込んでいました。

 

住民は川の水の調査をしてくれ、データを出してくれと言ったのです。

 

ところが町当局はそれを出さなかったのです。

 

そして、裁判となりました。

 

裁判した結果、罰金を払うこととなり、2億円もの大金を罰金として支払ったのです。

 

つまり、罰金を払ってでも、それを続けなければならないということだったのです。

 

これが「効率・能率主義」なのです。

 

 

ですから皆さんは、厚生省や通産省が国民の健康のために、日々努力していると思っている人がいたら、これはとんでもない善意の誤解だと思っていただいたらいいと思います。

 

厚生省や通産省が行っているのは、あくまで企業の健全経営を守るためであって、国民の健康のことはほとんど考えていないのです。

 

古くは足尾銅山鉱毒事件、水俣病、血友病のエイズ被害、狂牛病まで、国はどちらの味方であったのでしょうか。

 

事実は、新聞紙面上でどんどん明らかになってきています。

 

いったい厚生省はこれまで何をやっていたのか、皆さんも知ることになるでしょう。

 

 

いずれにしても、これらの思想というものは、こういうことです。

 

我が亡き後に洪水よ来たれ」(ポンパドゥール夫人)

 

私が死んだ後に、洪水が来てもいいよと言っています。

 

洪水というのは、ノアの方舟に代表されるような世紀末ですね。

 

キリスト教的な洪水のことです。

 

つまり、私が死んだあとなら、最後の審判が下っても構わないというわけです。

 

日本にもこういう言葉があります。

 

ある時は米の飯

 

これは、今あるうちに享受すればいいという刹那主義ですね。

 

今あったら、今楽しんだらいいじゃない、今ある分を蓄えるなんてことはしないで、消費してしまえ。

 

あとで困るかも知れないけれど、贅沢しちゃえということですね。

 

つまり、日本の誰も20年後、30年後のことを考えていないのです。

 

ともかく今さえ凌げればいいということが、「ある時は米の飯」という思想です。

 

この考え方で日本はまっしぐらに進んでいますから、悪化するばかりということです。

 

(つづく)

 

※この記事はBL研究所 所長 冨田哲秀著『食養学入門(2004年)』より抜粋しております。

 

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